自動車大国日本の自動車メーカーであるトヨタ自動車は、世界でもトップを走っています。

しかし、トヨタ自動車だって最初から大企業だったわけではありません。

創業からこれまでの歴史の中で、どのようにしてここまで存在感のある大きな会社になれたのでしょうか。

そのルーツを見ていきましょう。

トヨタ自動車の創業者は、豊田自動織機製作所の創業者・豊田佐吉の長男である豊田喜一郎です。

そもそもトヨタは、豊田自動織機製作所の自動車部が起源となっています。

そして、1936年に独立したことで「トヨタ自動車工業株式会社」が誕生しました。

ちなみに苗字はトヨタではなくトヨダと読みます。

 

なぜ苗字の「トヨダ」ではなく「トヨタ」になったのかというと、いくつかの理由があったそうです。

・トヨタだと八文字(末広がり)で縁起がいい
・濁点がない方が響きが良い
・人名にとらわれず個人企業から離れて社会的存在になるように
など

実際、独立する前は「TOYODA」と表記されていたようです。

 

トヨタで初めて作られた車は、豊田自動織機製作所自動車部時代のG1型トラックです。

しかし、不具合が続出したために改良に改良を重ね、その結果、トヨタの技術力が格段に向上したと言われています。

その後、1936年に発表されたAA型乗用車と、G1型トラックの改良版であるGA型トラックが量産にされるようになりました。

これらがトヨタの量産型自動車のはじまりとなっています。

 

2代目社長になってからは、今でも乗り継がれる「クラウン」や「コロナ」(現行モデルではプレミオ)といった乗用車が開発・販売され始めました。

さらに4代目社長の時代には、だれもが知る「カローラ」が発売されました。

カローラの大ヒットにより、トヨタの国内シェアは圧倒的になり、その地位を不動のものとしました。

1966年には日野自動車、翌1967年にはダイハツ工業との業務提携を結んでいます。

ダイハツは小型自動車の開発・生産がメインとなり、トヨタの幅広いラインナップのうち小型部門の一部を担っている部分もあります。

どうやって日本を代表する大企業になったのか?

トヨタが日本を代表する大企業となった秘密は、創業当時から変わらない「カイゼン」の姿勢にあります。

前述の通り、G1型トラックの不具合続出と、それらに対する度重なる改善がトヨタの技術力向上に繋がったとされています。

「反省して次に活かす」という、一見簡単そうで実は難しいことが、創業当初から根付いているということでしょう。

製造の現場ではもちろんのこと、経営の観点でもカイゼン意識が根付いているのです。

大企業でありがちな「保守的な経営」になりかけたときにも、社長を交代して事業をスピーディーに進めさせるなど、攻めの姿勢に転じた経緯もあります。

良くないと気付いたときに反省し、より良い方向へ改善していこうとする意識が働くのがトヨタの強みと言えるでしょう。

2014年には経営コンサルタントの唐土新市郎氏が「トヨタの反省力」という著書を出したほどです。

こうした「カイゼン」の姿勢は、トヨタの会社経営方針の大元となっています。

トヨタがグローバル企業になったこともあり、海外でも「Kaizen」という言葉がそのまま使われるようになっているそうです。

ネッツトヨタやカローラなどは何が違う?

メーカーとして存在するトヨタは1社しかありませんが、身近にある販売店はトヨタといえども複数あります。

その販売店の種別は「チャネル」と呼ばれており、現在では下の4つの販売店に分かれています。

・トヨタ
・トヨペット
・カローラ
・ネッツ

それぞれの違いは、販売している車種の違いによるものです。

 

各チャネルに「専売車種」が存在しており、同じトヨタ間でも競争原理が働くようになっています。

例えば、各チャネルにおいて次のような車種が専売となっています。

・トヨタ・・・クラウン、ランドクルーザーなど
・トヨペット・・・マークX、ハリアーなど
・カローラ・・・カローラ、ノアなど
・ネッツ・・・ヴィッツ、VOXYなど

しかし、トヨタ自動車は今後このチャネル販売方式を徐々になくし、全車種併売化していく方針との報道がありました。

今後の動きにも注目していかなければなりません。

まとめ

トヨタ自動車の歴史を紐解いてみると、一ベンチャー企業の努力が実を結んだ結果、今の地位にあることがわかります。

チャネル販売を終了する話も出ていますし、これからの販売網が変化する可能性も大いにあり得ますので、今後の動きからも目を離さないようにしましょう。